April 22, 2021

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亡き者の声を拾う(4月の社会時評より)

 大坂なおみ選手が全米オープンテニス前哨戦の準決勝欠場を宣言したのは今からちょうど半年前のことである。直後に全試合の一日延期が決まった。その後の全米では大坂選手はすべての試合で黒いマスクを付けて出場し、三度目のグランドスラム制覇を果たした。マスクには、警察に射殺などされ命を落とした七人の黒人の名前が白抜きの大きな文字で一枚づつ書かれ、大阪選手は試合ごとにそれを身に付けていた。
 映像が放映されると、日本人の中には「抗議したいなら闘い抜き、優勝会見ですべきだ」、「スポーツは政治を語る場ではない」などと批判を向ける人もいたけれど、無言の抗議は日本国内外で大きな関心を集めた。従来から住居、教育、医療など社会資本へのアクセスが制限された米国黒人社会にとって、根深い差別の上にコロナ禍が重なり、厳しさが増しているのである。人口の12パーセントを構成する黒人層は、昨年、コロナで死亡した罹患者の34パーセントをも占めており、人種と貧富によって病の負担が平等ではないことを如実に物語っている。
 そのことを思い出したのは、数日前、フランスで配信された新聞に次の見出しがあったからである。見出しは、「2020年、路上死亡者535人の名簿」(筆者訳、La Croix3月30日配信)。路上死亡者とは、シェルターをふくむ公共空間で息を引き取った人で、その3ヶ月前から人の住むことを想定しない野外などで日々を送っていた人々のことを指す。言い換えれば、公道の上や駐車場、階段の吹き抜け、地下鉄の駅などで死亡したホームレスな人々のことである。全国で死んだ535人は首都パリに集中しており、平均年齢が49歳、なかには44名が女性で、なかには5歳未満の子供も一人いるという。
 記事には短い動画が付いている。数多い路上死亡者のうち男女3人を選び、名前を告げ、それぞれが最期を迎えたテントや小屋などの実景を映しながら、ナレーションでは年齢から性格、日々の過ごし方、髪の毛の色まで淡々と丁寧に述べている。彼らが毎日使っていたと思われる道具や本人の想像図などを描いた控えめなイラストも実景映像に配置し、人知れず死んで声を失った人々の存在を視聴者に想起させている。簡潔な解説に続き、記事自体は見出しの通り、535人の名前をひたすら羅列しただけの内容になっている。名簿は、一月から年末までの順に並び、ファーストネームと享年、死亡日と亡くなった地名を連ね、身元が分からなかった者は名の代わりに「アン・オム」(「ひとりの男」)「ウン・ファム」(「ひとりの女」)とだけ記してある。フランスはコロナで福祉体制がひっ迫し、人々を救う手立てがなくなったことに加えて、統計の精度にも問題があるとして、この数は増えるであろうと記事には書かれている。
 暴力や病などにたおれたいわゆる名も無き市民をどのように記憶に留め、その存在を共有するかは当然国と時代によって違う。日本にも、不幸な状況に巻き込まれ、不本意にも死を遂げた人々に思いを馳せる習慣がある。有名な事例には毎年、広島市と長崎市それぞれの平和祈念施設に奉納される原爆死没者名簿がある。
 江戸時代まで遡ると、災害に際して地域で犠牲になった人々の数と属性を書き上げ広く流布させることで供養もし、以後の備えをも促す意図で作られた読み物が数多く見受けられる。幕末の例でいうと、安政五(1858)年秋に江戸を襲ったコレラ流行に取材した『安政午秋 頃痢流行記』(
あんせいうまのあき ころりりゅうこうき)(仮名垣魯文作)という一冊の出版物がある。感染のピーク時だった同年陰暦八月の死者数一万二千人余を日ごとに数え挙げ、一方、幕府から救援米が支給された大人の貧民の数を性別で分け、盲人、出家、尼僧、神主などと人別(にんべつ)まで記録している。同書には巷で広がった虚実交々(こもごも)の罹患者たちの物語が並べられている。たとえば、湯島辺りに住む貧しい妊婦が亡くなると、知人らがどうにかして火葬の費用を用意し野辺送りをさせてあげた話など、読者に死者の悼みを知り遺族らにも共感できるよう挿絵と共に読みやすい文章が収められている。近代的なジャーナリズムが日本に定着する20年ほど前のことで、客観性に欠ける部分も多々あるにはあるのだが、亡き者の名を留め声を拾い上げ伝えることによって他者へ思いを寄せ、救う意志に変わりはないと思う。