築地 2人の恩人
築地で命拾いをした。2011年の夏、熱を伴う風邪のような症状が続いていたが、そのうち治るだろうと考えていた。8月に宮城県の鳴子(大崎市)で東日本大震災被災者との読書会があり、帰ってくるとぐったりして、これはただごとではないと直感した。毎年人間ドックを受けていた明石町の聖路加国際病院で診てもらうと、医師は「感染性心内膜炎です。放置すれば死にます」という。
即入院し1ヶ月半、安静と抗生剤で感染症は治したが、菌に侵された心臓の弁を修復しなければならない。半年後、心房を開く大手術を受けた。その時、僕は年上の2人の女性に救われた。偶然、同じ主治医に診てもらっていたという作家の内館牧子さんは手術前、「キャンベルさん、麻酔が切れると声は聞こえるけれど体が動かないのよ。霊安室に運ばれちゃうと怖がらないで、手を握り返せるまで我慢しなさい」。術後その通りの体験をした。おかげで恐怖に陥らずに済んだ。
手術の翌々日、自転車漕ぎのリハビリ器具に乗せられた。文字通り心臓が飛び出るほど怖かった。ところが隣で元気よく漕いでいる女性がいる。80歳代の松永あや子さん。築地生まれの築地育ち、漕ぎながら戦争末期の話をしてくれた。ある時、上空にやってきた米国の戦闘機が「ここは爆撃しない。安心せよ」とビラをまいたという。「信じていいのか。でも父は信じるといって逃げなかった。だから私も空襲に巻き込まれずに助かったの」。心拍を忘れ、凄絶な体験を淡々と語りながら漕ぐ松永さんに大きな勇気をもらった。持つべきは先輩である。
(2018年2月15日付、東京新聞朝刊より)