東中野の「別荘」
1980年代後半から続いたバブルがはじけ、しめしめと思った。九州大学文学部専任講師の給料では、カタツムリの速度でしか人生の塀は登れない。塀もマンションもバブルのおかげで、ウサギが跳びはねるように暴騰していた。しかしバブルがはじけ、ローンさえ組めばこの僕も中古マンションのオーナーが夢ではないと思いはじめたのは、1992年ごろ。福岡から毎月、調査と古書店巡りで通っていた東京に「別荘」を持つことにした。
古い友人の紹介で不動産屋さんと一緒に10軒近く物件を見て回った。東中野に築28年の昔社宅だったマンションが見つかった。部屋とほぼ同じ広さの庭があり、静かで日当たりもよく、即決した。東郷神社の六畳一間も捨てがたかったが、私物を置きたいし、いつまでもお世話になるわけにはいかなかった。
決めたのはいいけれど当時、永住権をもたない外国人が住宅ローンを組むのは大変だった。「パスポートに永住権の申請受理印さえあれば何とか」と、銀行員が耳打ちしてくれた。意味は後で分かった。入国管理局に申請を受理させる条件は、まず10数種類の書類をそろえること。前科なしで定収ありは序の口で、違法薬物を使っていない証明(内科で尿検査)から、心神喪失者でない証明(精神科で面接テスト)等々、今思い出すと噴き出すような場面が多かった。
無事ローンが下り2年後に東京へ引っ越した。東中野は素晴らしい。新宿で終電をやり過ごしても歩いて帰れる。すると寒い夜明け、庭の餌台から番(つがい)のメジロがあきれ顔でほほ笑み、やさしく鳴いてくれた。
(平成30年2月12日付、東京新聞朝刊より)