27歳で福岡に
27歳の時、福岡市に移住した。僕は直前までボストンのハーバード大学で日本文学を学んでおり、福岡には江戸文学研究の権威で当時九州大学文学部教授だった中野三敏先生(現名誉教授)がいた。中野先生の下で研究の基礎を固めよう、1年たって帰れば博士論文を出し、米国で教壇に立てる、そう考えていた。
しかし、その後留学を1年間延長し、同じ研究室に専任講師として残ることになったため、結局福岡には以後11年間お世話になった。今、こうして東京で暮らすようになったきっかけは、福岡での最初の数ヶ月にあったと思う。
広い大学の研究室の奥、窓を右手に前も後ろも本で埋め尽くされた所に机があり、先生はそこに座っていた。昼ごろ現れ、夜の七時ごろまでずっと原稿を書いておられた。同じ3階の大学院生たちがいる国語国文学研究室から内線電話をかけると、すぐに会ってくださる。本棚には江戸文学研究に必要なありとあらゆる書籍が汗牛充棟と積み上げられていた。
文化文政期の江戸文壇で、文人たちが自分の仕事や人生をどう批評し合ったかに僕は興味を持っていた。それを知った先生は、僕が初めて研究室を訪ねると「ここにあるものは全てもっていっていい」と、段ボール箱を取り出した。開けると江戸文人が書き残したいわゆる学者評判記の板本が10数種類入っていた。彼らの声が響き合うような稠密な「個人情報」で、ほとんどが活字化されていないものだった。下宿に持ち帰って一冊ずつ読み解き、春に先生に返した。僕の旅はこの段ボール箱から始まった、といえる。
(平成30年2月8日付 東京新聞朝刊より)