September 24, 2017

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糾える縄のような

原田眞人監督作品『関ヶ原』を観て

 原田眞人監督の映画『関ヶ原』が、久しぶりの骨太合戦映画ということで、興行成績もなかなかいいらしい。このごろ、いろんなところで話題になっている。

 私は幸い、封切り前に観ることができた。そして翌日、原田監督と対談した(対談の模様は映画パンフレットに収められている)。
『関ヶ原』は、合戦の主謀者として斬首され、徳川時代を通して無類の悪者に仕立てられていた石田三成を主人公にしている。大河ドラマの名にふさわしい歴史の糾える縄のような人間模様と、260年の平和をもたらした天下分け目の戦いを大胆かつ繊細に描ききっている。
 江戸文学を好きな人であればピンとくると思うが、三成は、当時の軍記や小説には「いい人」として登場しない。『太閤記』(1634〜37年)では秀頼の佞臣。『武徳大成記』(1686年)では家康と前田利家の間を裂く。『氏郷記』に至れば、蒲生氏郷の辣腕を警戒して秀吉の許しを取り付けた上で毒殺に及ぶというおどろおどろしいエピソードまで書き連ねている。
 東軍だろうが西軍だろうが、大名が一旦徳川家の秩序に組み込まれれば家譜をはじめ、すべての記録に三成へのオマージュは書けない。合戦の責任転嫁と、陰湿きわまりない薄情の人物像しか出てこない。
 徳川氏が政治の舞台から消えた明治では、それとは一転、秀吉の遺訓に背く家康を排除しようとした一種の義臣像が出来上がる。民政に秀でた点など三成のいいところを徐々に評価する気運もあった。
 大きな分岐点は、今回の映画が原作とした司馬遼太郎の名著とされる小説『関ヶ原』の発表である(1964〜66年発表)。高度経済成長を背景に、三成を義に厚い、優れた経済官僚として捉えている。
 原田監督もまた、原作に拠りながらも、司馬史観というものに束縛されていないところが好印象であった。スクリーンに映る人物は、どれもが歳月の中で変化する。大坂城を造る若い時分の秀吉は厚顔無恥で、まるでトランプ大統領のよう。老いるにしたがって体力に自信が失せ、どんどん衰えていく。島左近も小早川秀秋も忍者の赤耳も、戦国の渦の中で功罪や「強い」「弱い」だけで測れない人間味があり、業のようなものを背負って生きている。
 不器用で実直な男として描かれる主人公、三成にはもちろん好感が持てたが、通常裏切り者として描かれる小早川秀秋の微妙な立ち位置に膝を打った。
 合戦の前夜、三成と会った際に心の丈を吐露された秀秋は、その反応として、大きな迷いを生じさせたと監督は解釈する。江戸以前の、戦後日本でも描きづらかった戦国武将の、純粋で深い迷いがこの映画にはある。書きながら、もう一度映画館に足を運びたくなったのである。

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(『天理時報』9月24日号掲載)