3月3日付、読売新聞夕刊の『もったいない語辞典』に「綺麗」という言葉を寄稿しましたので紹介します。
「綺麗」 中身の充実や覚悟を切り取る
「鳥取も90センチの積雪を記録しました。ご覧のように、雪が綺麗に積もっています」。雪原と化した市街地を棒で指す予報士の言葉選びに、耳を疑った。死者が出ているというのに「綺麗」とは何事か、と。
予報士の弁護をするつもりはないが、この場合の「綺麗」は大地を「すっかり」覆うほどの意味で、美しいとは言っていない。 あった物がなくなった時でも、たとえば「綺麗に食べたわね」は隙間無くやるべきことをきちんとやったことを認めていて、言われて嬉しい。「綺麗さっぱり、財布に一文無し」というのも「綺麗な別れ方」も、決定的な状況のなかで人がちょっと羨むような潔さを漂わせている。
よれよれのTシャツはどうだろう。皺を伸ばし綺麗に畳める人に会うと心の豊かさを感じる。
「綺麗」は、外見に目線を合わせているようで、実は中身の充実や覚悟みたいなものを切り取っている。
温泉の浴場で、父親が幼い子に「静かに入りなさい」と諭しているの聞き、ハッとしたことがある。「静かに」も、英語の「クワイエットリー」にはない豊かな身体性がある。
綺麗なだけの人もいる。可哀想。それでも「イケメン」とか「かわいい」で拾えない響きが「綺麗」にはある。響きは大切で、消されてしまうともったいない。
夕吉は、マグカップに「綺麗」にハマりました。