村上春樹『騎士団長殺し』(2巻、新潮社)の書評、昨日(3月8日付)の朝日新聞朝刊に掲載されています。
「私」が再生する物語
最後に分かるのは、山荘の周辺に起きた奇妙な出来事から現在まで、すでに十年近くが経っていること。最初に明かされるのは、語っている主人公・肖像画家である「私」がストーリーが回り始める前から別れていた妻とは復縁し、小説の舞台から遠く離れた場所で過去のことを思い出しているらしい、ということである。
夏目漱石の『こころ』の語り手「私」がしばしば「先生の話が益(ますます)解らなくなった」等とふり返るように、春樹の「私」も経験豊かで謎めいた年上の免色渉(めんしきわたる)という相手から言われることを度々「よくわからなかった」、という具合である。春樹の「私」は、生来人前で言うべきことを黙って言わない、どちらかと言えば内気なタイプ。にもかかわらず、千ページを超える大作の一部始終をコンパスで製図したごとくきっちりと語りきっている。記憶に揺らぎはなく、目に見えて耳に聞こえるすべての現実、人によっては見えないけれど実存するディープな非現実も、果てしなくフラットに詳述されていく。
単調で穏やかそうに見える山中の日々を、少しだけ先に設定された細々(こまごま)とした約束が運んでいる。夜中に鳴る不気味な鈴の音源を免色と一緒に探ろうという「今夜の十二時半」の約束。絵画から飛び出した小っちゃなイデア=騎士団長が同伴する四日後、火曜日に予定される夕食会。二日後という「私」が設けた、免色の娘と思われる少女の肖像画を描くかどうかの決断期限。その間に、人知の及ばない切実なドラマが降って湧く。短距離に連なる未来たちの間を縫うように、主人公は過去を省み、「むしろ失ってきたもの、今は手にしていないものによって前に動かされている」意識を深めざるを得ない。
単調(な描写)から読者を掬い上げ、目覚めさせ、緊張の渦に巻いてくれるのは「私」が本来嫌いな暗く閉ざされた狭い空間の風景。小さな棺。祠の奥に潜む石室。離婚届が入った返送用封筒。顔のない男のいる深い「メタファー通路」。真実をめぐるいくつもの暗闇を抜け、「私」が再生する物語である。
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