November 25, 2015

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雲母創刊100年に寄せて(山梨日日新聞11月20日朝刊寄稿)

 俳句雑誌『雲母』の創刊100年を記念して、山梨県立文学館では11月23日まで企画展『俳句百景 季節を生きる喜び』が開かれていました。それに合わせて飯田蛇笏・龍太親子らの俳句について山梨日日新聞に寄稿した文章をこちらでも紹介します。

 冬の扇、といえば季節外れで使い道を失い、静かに箪笥に眠っているモノを連想する。ほこりっぽく、侘しげな「今さら」感が濃厚に漂う。
 そこへ来て、飯田蛇笏の代表句。「くろがねの秋の風鈴鳴りにけり」(昭和八年作)。釣り忘れた鉄器の風鈴は重厚な音色を奏で、あたりに残響をたなびかせている。堂々と「鳴りにけり」、というからには遠慮もいらない。夏の季語「風鈴」と「秋」がぶつかる中七(なかしち)で一句が勢いづき、存在を刻む一種の確信へと向かうようである。 バブルの頃、わたくしの近所に一軒だけ地上げ屋の甘言に耳を貸さず「空気を読まない」ことで有名になった喫茶店があった。蛇笏の「くろがねの」句を読むと、店主の一徹な表情が浮かび上がってくる。
 蛇笏は男っぽい感触で、消えそうで消えない小さな命の強(したた)かさを謳い上げた名句を他にもたくさん残している。
 「高浪にかくるる秋のつばめかな」(昭和一七年作)。海辺からの眺望だろうか、寄せる大波の上をすれすれに飛ぶ一羽の燕(つばめ)がいる。うねりに呑み込まれたか、と心配そうに見ていると波乗りのようにひょこっと現れ、また消えていく。見る人間の一瞬の印象、あるいは錯覚であり、秋の燕はただ自然のリズムに従って獲物を一心に求めているに過ぎない。「かくるる」意志は燕にはない。IMG_0005.JPGのサムネイル画像のサムネイル画像のサムネイル画像
  蛇笏が編み出した写生句には潔い意外性がある。同じ海をすれすれに飛んでいるという若山牧水の「白鳥」歌 ー「白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」(明治四一年発表)ー と比べると、蛇笏の燕は喜怒哀楽がなく、無心であることが分かる。動物と風物に心を投影しない代わりに、人間の感覚器官に「見える」ことと「聞こえる」ことが直接伝わり、不思議な喜びやざわめき、命の実感を味わわせてくれるのが蛇笏句の醍醐味だとわたくしは思う。
 龍太も、「見える」ことと「聞こえる」ことを季節の中、そして句の中でストレートに表現することの名人であった。
  「手が見えて父が落葉の山歩く」(昭和三五年作)。「落ち葉」は冬の季語。晩年の父の姿である。郷里の里山を散策している父を、龍太は一条(すじ)の谷川の向こうから瞬時に認めたらしい。裸になったナラやクヌギの幹の間から「手」が見え、それが「父」と知れ、やがて枯れ葉が敷き詰められた山の広い画(え)が目前に繰り広げられていく。映画のズーム・アウトにも似た手法だが、それ以上に、「手」だけで父親たるものの量感を切り取ってみせるところに、季題をもつ俳句ならではの力がある。