ガメラでもあるまいし跨がれば済む話ではあるけれど、「そこのけ」とキリギリスに挑んだ人の気持ちはよく分かります。部屋の中で見つける虫ってなんとなく威張っている。どうすれば無事に通過できるか、とっさに判断をつかせないような厄介で剣呑な雰囲気をかもし出したりします。
キリギリスは秋の季語。9月1日松山市を訪れた際に初めて耳にしたこの発句は、作者は栗田樗堂といい、江戸時代の松山で暮らした人物です(1749-1814)。知らない人は多いと思いますが、当時は全国区の著名な俳人であり、正岡子規や河東碧梧桐、高浜虚子などが生まれるはるか前の松山城下で文学に一生をかけ、俳諧を広めた立役者です。
松山松前町の酒造業豊前屋後藤家の三男として生まれた樗堂は、17歳で同業の廉屋栗田家に婿入りして、以後家業をもり立てながら、町方大年寄という町人行政のかなめを長くつとめ、かたわらこつこつ、一番好きな俳諧を作り(暁台門)、俳諧という文芸を通じて多くの人々と交遊していきました。深い自己観察に裏打ちされた軽快なウィット。これが句を流れ、読者を引きつけるようにわたくしには思えます。
花盛ちるより外はなかりけり
さむしろや飯くふ上の天の川
秋かぜや鏡の翁我を見る
明治の子規が樗堂を「伊予第一の俳人」と賛辞を向けたのも頷ける以上に、子規らがこの地に現れる必然性のようなものを樗堂の句の中から感覚的につかむことができます。
今年が樗堂の200年忌ということで、松山市立子規記念博物館では「樗堂と一茶、そして子規へ」という精力的な企画展を開催(8月31日~9月29日)。それに合わせて1日には樗堂の人生と句作りをめぐる記念講演と鼎談を開きたいというので、わたくしが招かれ、松山へ参った次第です(講演題目は「江戸文人の『住まい』感覚」)。イベントの共催者は地元で長年俳諧を研究し教えてこられた松井しのぶさん率いる庚申庵倶楽部というNPO法人でした。庚申庵というのは、樗堂が1800年、つまり213年前に市中に建てた小さな建物と庭園の名前で、今もって健在です。NPO庚申庵倶楽部は10年前に前所有者の方からこの庵を引き継ぎ、原材料を用いながら、できるだけ忠実に元の形に復元しています。素晴らしい出来映え。松山にお立ち寄りの方には必見(入園無料、10:00-16:00、水曜休園、)。
樗堂は、仕事から離れた空間で煎茶を入れ、俳諧に遊びたかったわけで、究極の男の隠れ家として仕立てています。現在は一般公開のほか折々に歴史講座もあり、9月29日には「正式俳諧興行」という、江戸時代さながらの連句会席を再現してみせるという異色のイベントを企画中(問い合わせは庚申庵史跡庭園、089-915-2204)。
当日は台風の接近で朝から雨模様。飛行機が飛ぶかどうか、いささか不安。しかし無事に着いて、お昼をはさんで講演と鼎談を行い、終わると松井さんと鼎談の司会をつとめた日本女子大学教授・福田安典さんに連れられて庚申庵に向かいました。到着するとボランティアの方々が煎茶の用意をしてくださっています。煎茶は甘く、疲れた体をめぐり、即座に落ち着かせます。暮れようとする池には泥鰌が悠然と泳ぎ、樹齢200年という立派な藤の木が風にそよぎ、もう、ここに2,3泊とめてよという危険な衝動をぐっとおさえ込んで、空港に出かけました。庭を眺めながら煎茶を飲むという至福の風情は、当サイトにあるインターネット・ラジオ「コトノホカ」でお聴きいただけます。所要時間わずか10分。松山に行ったつもりで、いちどぜひお聴きください。
我しなば庵を譲らんきりぎりす