August 24, 2013

←BLOGトップ

式年遷宮

昨日の、火曜日の報告の続きということで……まず東京発16:00のぞみ237号に乗車。17:41名古屋着で下車、迎えのロケ車に乗り込み、2時間かけて伊勢市に到着。夜の伊勢はしんと静まり返り、人通りは皆無に近い。ここまで来た目的は、伊勢神宮の式年遷宮にあわせ、NHK名古屋放送局が週一番組の「金とく」で遷宮を取り上げ、そのゲスト・ナビゲータとして、わたくしに声をかけてくださった次第。伊勢神宮を訪ねるのは3度目。いつもですと神宮文庫で江戸時代の文献調査を行う前後に内宮へ参拝するのですが、今度こそ内宮の佇まいそのものをじっくりと目で見て、心で感じながら、何かしらわたくしの視点から伝えることが使命なので、「初めて」お参りする気分になります。

 

前泊のつもりが朝4:30集合ということで、3:00起床。体に「泊まった」感覚はなく、とにかく内宮の参拝が始まる5:00までに宇治橋に足を揃え、共演者とスタッフといっしょにゆっくりと神域に向かって歩み出そうという計画。この日は、宗教学がご専門で伊勢神宮に大変詳しい皇學館大学教授・櫻井治男先生と、金とくキャスターの黒崎めぐみさんとごいっしょできるということなので、こんなに心強く、愉快な収録はありません。不思議なもので実際に動きだすと、眠気は消散する。

 

宇治橋.JPG宇治橋は何度渡ってもじんときます。ほどよい高さと長さとなだらかな反り、前方左右に広がる神苑の鬱蒼とした杜、すべすべした檜の欄干、眼下一面を流れる五十鈴川の清流がすべて体に染みわたり、神々しい何かを予感させます。白みだした夜明けの空をパッと灯すような錦鯉を期待して下を覗くと、猛暑と雨不足がわざわいして、川自体が干上がって魚が遊泳する場所ではなくなっています。上流にダムがない、日本でも珍しく手つかずの河川だから、い五十鈴川.JPGにしえで言えばまさしく「旱魃」の姿を連想させます。鯉のためにも、早く雨が降ってほしい。

 

宇治橋を渡って右へ曲がる。その先に小ぶりな火除橋が架かっていて、それを越えると右斜めに建て替えたばかりの手水舎と、目の前には真新しい一の鳥居が朝日を浴びて煌々と輝いています。ここから奥にある正宮までの道のりは、遷宮にあわせて新築された構造物がいくつも暖かい白木の色合いを見せ、風には檜の清涼な香りが運ばれてきます。新御敷地の手前を左に入ると、「御稲御蔵」(みしねのみくら)という、正宮と同じ唯一神明造りの社があります。神田から収穫した稲穂をここに納めるわけですが、祭典のたびに、稲穂を出して神様に供えます。ふだん間近に窺えない正殿と同じ千木と鰹木、棟持柱など古代さながらの建築要素を至近距離で見られるのがかなりスリリングな体験です。

御稲御蔵全図.JPG御蔵細部.JPG

一番奥に行きますと20年前に建て替えられた現正殿が石段の上にそびえています。お参りすると、なるほど20年の風雨がもたらした物質的な成熟と、「神さび」(かむさび=古色を帯びたおごそかな様子)という古語にぴったりの威厳を感じさせています。対して10月2日に遷御の儀を経て神様が「お引っ越し」する予定の西隣、新正殿には命の芽ばえ、これから時を開いていこうという眩しい勢いのようなものが伝わってきます(写真は櫻井先生と黒崎さんとの3ショット)。正宮が東西に並ぶこの時期しか感じ取れない、継承の一本の継新正殿.JPGぎ目。建て、壊されることを1,300年も繰り返しているからこそ再生への「祈り」が形を留めているでしょう。石造りの、ひたすら蒼天に手を伸ばしたくさせる聖堂もあれば、伊勢神宮のように、命のサイクルに重心をおき東と西、永遠の交替を繰り返す営み自体に頭が自然と垂れる杜の社もあります。今回、これらのことに触れることができたのは何よりありがたく、嬉しいことでした。

 

ところで参拝を終えて気づいたことが一つ。神様が10月2日の夜、東から西へと渡る道の向こう側には木立があり、そのなかで、仮設の桟敷が組み立てられようとしています。遷御の神秘を見届けるために集まる人々の座席です。木立には巨大な神木もあれば、細い若木もあり、桟敷を支えるパイプの足場はその一枝も折るまいと繊細に合間を縫うようにして組み立てられています。作業員の苦労を思いやるばかりですが、足場そのものは美しい。世界一美しい足場、と言っても過言ではないと思います。

遷御桟敷.JPG 

収録の最後は伊勢神宮徴古収録を訪ね、神宝の数々を拝見。16:00には近鉄に乗り、名古屋経由で帰京。