散歩は往きと帰りで違う路を通ると風景が2倍増えて楽しいぞと単純に考えていたら、そう簡単には掛け算ができなそうであります。
たとえば青山付近。
表参道から外苑西通りに向かって246の西側を歩くと足を留めて眺めたくなるような建物は一個もなく、ひたすら大きなコンクリートとガラスの塊をエーヤと抜けていく気がする。猛暑の朝だと泣けてくるほど乾燥しきった、退屈なアヴェニューだ(なぜか東側はエイベックスなど目を楽しませてくれるスポットが盛りだくさん)。
帰りに一歩裏に回ってみると、昭和30年代に建った青山北町アパートが広々と緑を湛え、ちょっとしたアーバン迷路を形づくっています。車止めが徹底しているし、いたって静寂。建物はどれも4階か5階建ての低層集合住宅なのでしげしげと見るわけにはいきませんが、干し物の雰囲気からするとお年寄りが多く住んでいるのでは。ブロックごとに住んでいる人々の主張を反映するかのように周りに茂っている樹木の感じも微妙に違っていて面白い。仰げば給水塔、足元には野良猫がうろつき、曲がり角には戦後の石碑が覗き、草むらの中から住人たちの自家用車が不規則に首を振っている。つまり同じ距離でも、表通りより軽く2,3倍「見ている」感覚が芽ばえます。
かくて路の表と裏で世界が一変することがあります。一方、表裏を貫く通路みたいな空間ができると、意地悪な仕かけを投げかけてくるようなこともままあります。
今日近場を歩いていると何10回となく前を通っている大通りに面した作業服の店があった。その帰りに、同じくらい通過回数の多い、真裏の屋根付き商店街に面した婦人向け「暮らしの衣料」店を真ん前から見すえてみました。八百屋さんみたく店の前に商品が箱詰めしてあり、あいかわらずその先にはレジがあって、そしてずっと奥まで目を凝らして見つめていると、表通りの木漏れ日が白く光っているではありませんか……ななんと、同じ店であることを発見しました!
表(つなぎと袖無しパーカーとガテン系の作業で使えそうなパンツ)と裏(激安ナイロンソックスから帽子、肌着、上段にはブラウス、その上に鞄類)があまりにもかけ離れている世界を背負っているがために、パッサージュであることにまったく気づかずに過ごしていました。婦人部を「裏」と言いましたが、客が立ち寄って四六時中おしゃべりしているのはこちら側、車通りが多く目貫感たっぷりの男物の部は(少なくともスルーする目には)閑古鳥。回り舞台のようでもあり、ドラマが書けそうです。