GREETINGS
ROBERT CAMPBELL
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August 24, 2013

式年遷宮

昨日の、火曜日の報告の続きということで......まず東京発16:00のぞみ237号に乗車。17:41名古屋着で下車、迎えのロケ車に乗り込み、2時間かけて伊勢市に到着。夜の伊勢はしんと静まり返り、人通りは皆無に近い。ここまで来た目的は、伊勢神宮の式年遷宮にあわせ、NHK名古屋放送局が週一番組の「金とく」で遷宮を取り上げ、そのゲスト・ナビゲータとして、わたくしに声をかけてくださった次第。伊勢神宮を訪ねるのは3度目。いつもですと神宮文庫で江戸時代の文献調査を行う前後に内宮へ参拝するのですが、今度こそ内宮の佇まいそのものをじっくりと目で見て、心で感じながら、何かしらわたくしの視点から伝えることが使命なので、「初めて」お参りする気分になります。

 

前泊のつもりが朝4:30集合ということで、3:00起床。体に「泊まった」感覚はなく、とにかく内宮の参拝が始まる5:00までに宇治橋に足を揃え、共演者とスタッフといっしょにゆっくりと神域に向かって歩み出そうという計画。この日は、宗教学がご専門で伊勢神宮に大変詳しい皇學館大学教授・櫻井治男先生と、金とくキャスターの黒崎めぐみさんとごいっしょできるということなので、こんなに心強く、愉快な収録はありません。不思議なもので実際に動きだすと、眠気は消散する。

 

宇治橋.JPG宇治橋は何度渡ってもじんときます。ほどよい高さと長さとなだらかな反り、前方左右に広がる神苑の鬱蒼とした杜、すべすべした檜の欄干、眼下一面を流れる五十鈴川の清流がすべて体に染みわたり、神々しい何かを予感させます。白みだした夜明けの空をパッと灯すような錦鯉を期待して下を覗くと、猛暑と雨不足がわざわいして、川自体が干上がって魚が遊泳する場所ではなくなっています。上流にダムがない、日本でも珍しく手つかずの河川だから、い五十鈴川.JPGにしえで言えばまさしく「旱魃」の姿を連想させます。鯉のためにも、早く雨が降ってほしい。

 

宇治橋を渡って右へ曲がる。その先に小ぶりな火除橋が架かっていて、それを越えると右斜めに建て替えたばかりの手水舎と、目の前には真新しい一の鳥居が朝日を浴びて煌々と輝いています。ここから奥にある正宮までの道のりは、遷宮にあわせて新築された構造物がいくつも暖かい白木の色合いを見せ、風には檜の清涼な香りが運ばれてきます。新御敷地の手前を左に入ると、「御稲御蔵」(みしねのみくら)という、正宮と同じ唯一神明造りの社があります。神田から収穫した稲穂をここに納めるわけですが、祭典のたびに、稲穂を出して神様に供えます。ふだん間近に窺えない正殿と同じ千木と鰹木、棟持柱など古代さながらの建築要素を至近距離で見られるのがかなりスリリングな体験です。

御稲御蔵全図.JPG御蔵細部.JPG

一番奥に行きますと20年前に建て替えられた現正殿が石段の上にそびえています。お参りすると、なるほど20年の風雨がもたらした物質的な成熟と、「神さび」(かむさび=古色を帯びたおごそかな様子)という古語にぴったりの威厳を感じさせています。対して10月2日に遷御の儀を経て神様が「お引っ越し」する予定の西隣、新正殿には命の芽ばえ、これから時を開いていこうという眩しい勢いのようなものが伝わってきます(写真は櫻井先生と黒崎さんとの3ショット)。正宮が東西に並ぶこの時期しか感じ取れない、継承の一本の継新正殿.JPGぎ目。建て、壊されることを1,300年も繰り返しているからこそ再生への「祈り」が形を留めているでしょう。石造りの、ひたすら蒼天に手を伸ばしたくさせる聖堂もあれば、伊勢神宮のように、命のサイクルに重心をおき東と西、永遠の交替を繰り返す営み自体に頭が自然と垂れる杜の社もあります。今回、これらのことに触れることができたのは何よりありがたく、嬉しいことでした。

 

ところで参拝を終えて気づいたことが一つ。神様が10月2日の夜、東から西へと渡る道の向こう側には木立があり、そのなかで、仮設の桟敷が組み立てられようとしています。遷御の神秘を見届けるために集まる人々の座席です。木立には巨大な神木もあれば、細い若木もあり、桟敷を支えるパイプの足場はその一枝も折るまいと繊細に合間を縫うようにして組み立てられています。作業員の苦労を思いやるばかりですが、足場そのものは美しい。世界一美しい足場、と言っても過言ではないと思います。

遷御桟敷.JPG 

収録の最後は伊勢神宮徴古収録を訪ね、神宝の数々を拝見。16:00には近鉄に乗り、名古屋経由で帰京。

August 23, 2013

森の長城プロジェクト

金曜日からふり返るといろんなことがあって中々踏みこたえ、走りこたえのある一週間でした。まず火曜日は午前中からお昼にかけて八重洲で開かれた公益財団法人 瓦礫を活かす森の長城プロジェクトの理事会に出席(http://greatforestwall.com)。このプロジェクトは、東日本大震災の被災地沿岸部にふたたび襲ってくるであろう津波の脅威から人々を守る森の防潮堤を築こうと、有志どもが昨年の夏に立ち上げたものです。震災瓦礫を埋めて、ほっこらとした盛土を築き、その上にシイ・タブ・カシ類を中心とした現地本来の樹種を植樹して森にしていくのが主な目的です。鎮魂、復興そして風土の再生という思いをこめて、国民運動として皆さまの寄付と参加を得ながら、大切に育てていきたいと願っています。お暇あれば、ぜひ一度ホームページを覗いてください。

 

去年の11月、仙台市で初めて行われたどんぐり採取ツアーに参加しました。

 

たかだかどんぐりと蔑むなかれ!ビニール袋を片手にお寺の境内に入り、ひたすら拾って回ります。どんぐりは面白いように見つかり、袋に溜まり、その袋がどんどん増えていきます。参加者約100名で、3日間のうち集めた命の粒はななんと11万個以上!かがんで拾い上げている間はどれもドングリの背競べ、個体識別がまったくできないのに、大勢で選別しているうちにacorns1.JPGacorns2.JPG微細な違いが段々と目にみえて分かるようになり、この発見が何ともいえず感動的だ。最後に仕分けを終えた大きな袋の山を見わたすと実にカラフルで多様なエコロジーが目の前に広がっています。奇跡に近い。カシでもシラカシがあればアカカシもあり、それぞれのハカマに刻まれる微妙な模様で見分けられると言います。要はそこら中落ちているドングリが、よく見るとみんな違うし、またよく見るとどこかとつながっている。つまり差異を認識することで、はじめて分類と集積化ができるというごく普遍的な真理に行き当たります。しかし待てよ、ドングリの袋たちが、人間に見えてきた......一袋ずつ、「種」ごとに固められ、周りの重量をぎゅっと受けながら、自分の場所と形を必死に守ろうとしている......

 

さて採ったドングリは全国各地に分配して、苗木ポットとして育ててもらいます。土に戻すのに採取場所と日付が大切な情報になるので、種類名といっしょにちゃんと明記しておきます。採取して1年が経つと、タブノキの苗木ポットはちゃんとタブノキになっているし、広大な森の匂いがします。

 

tabu1.JPGtabu2.JPG目標はもちろん沿岸部に樹木を増やすということなので、随時、いろんな場所で植樹祭をやっています。次回は10月6日(日)、福島県南相馬市で「南相馬市鎮魂復興市民植樹祭」を行います(主催:南相馬市、共催:森の長城プロジェクト)。ボランティアを募集しています。くわしくは、これまた上記のURLをぜひクリックしてみてください。わたくしも行きます!

 

で、理事会の後ですが、東京駅でこのごろ一番好きな「分とく山」弁当を買って、新幹線に乗り、名古屋経由で伊勢市まで一足飛び。そのわけは......to be continued, most likely, tomorrow night.

August 18, 2013

Absorbing Pains

「白人のカップルがアジア系の子供といっしょに歩いているのを見たとき、どんなことを思いますか?疑問、懸念、考えがあれば教えてください!」

 

今朝Facebookを開いたらサンフランシスコで中学から高校、大学時代をいっしょに過ごした親友のカレンさんから、こんな呼びかけの投稿がありました。カレンさんはご主人との間に2人の息子がいます。また11年前に、中国に渡って、1人の赤ちゃんを引き取って養女にしました(まだ会っていませんが、とても元気そうな女の子)。アメリカ人が中国の孤児院から養子を引き取れるようになったのは中国政府が法改正を行った1992年以降のこと。その数は年々増え、2005年の約8,000人をピークに、09年の中国政府による孤児渡航法の見直しをきっかけにかなり減ってきています。もともと中国政府による一人子政策が原因で孤児が大量発生。1人しか産めないとすれば男児がいい。女児の「余剰」が生まれ、悲しい対処法の一つとして女の子たちが親から切り捨てられ、海を渡るはめになったのです。

 

半日間で、30人ほどの「友人」がカレンさんの問いかけに答えています。ほとんどの人は良心的。「別に何とも思わない」「両親が、養子を取ろうという決意を固めるまでにどれほど苦悩したか」「思わず子供の人種が何かとか、カップルのどちらかの連れ子ではないかしら」など勘ぐったうえで、しかし小さな他人を貧困と痛みから救おうとしたこのカップルの姿は気持ちいい、共感できると書き込んでいる人が多いです。

 

とはいえ、アメリカには、中流の白人家庭が中国孤児を引き受け、大人まで育てることに同意できない人が増えているそうです。カレンさんの呼び掛けは続く。「どうか正直に答えてください。見た瞬間、その子が中国で「盗まれた」孤児だと心配したことは?生まれた文化から無理矢理引き剥がされ、アイデンティティを失ったと憐れんだことは?」

 

移民大国アメリカですら「吸収」することの困難さが伝わり、読みながら切なくなりました。

 

今朝の『読売新聞』で、「Nippon 蘇れ」シリーズ第4部「吸収」1回目として、野依良治さんと高橋進さんと鼎談をしています。日本がこれからの少子化社会とどう向き合えるか、「外からやってくる」人々をどう考え、受け入れをどう議論すべきか、いくつかの提言を試みました。『読売新聞』の「吸収」は論陣を換え、来週も引き続き、全5回掲載予定とのこと。

 

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August 17, 2013

暮らしの衣料

散歩は往きと帰りで違う路を通ると風景が2倍増えて楽しいぞと単純に考えていたら、そう簡単には掛け算ができなそうであります。

 

たとえば青山付近。

 

表参道から外苑西通りに向かって246の西側を歩くと足を留めて眺めたくなるような建物は一個もなく、ひたすら大きなコンクリートとガラスの塊をエーヤと抜けていく気がする。猛暑の朝だと泣けてくるほど乾燥しきった、退屈なアヴェニューだ(なぜか東側はエイベックスなど目を楽しませてくれるスポットが盛りだくさん)。

 

帰りに一歩裏に回ってみると、昭和30年代に建った青山北町アパートが広々と緑を湛え、ちょっとしたアーバン迷路を形づくっています。車止めが徹底しているし、いたって静寂。建物はどれも4階か5階建ての低層集合住宅なのでしげしげと見るわけにはいきませんが、干し物の雰囲気からするとお年寄りが多く住んでいるのでは。ブロックごとに住んでいる人々の主張を反映するかのように周りに茂っている樹木の感じも微妙に違っていて面白い。仰げば給水塔、足元には野良猫がうろつき、曲がり角には戦後の石碑が覗き、草むらの中から住人たちの自家用車が不規則に首を振っている。つまり同じ距離でも、表通りより軽く2,3倍「見ている」感覚が芽ばえます。

 

かくて路の表と裏で世界が一変することがあります。一方、表裏を貫く通路みたいな空間ができると、意地悪な仕かけを投げかけてくるようなこともままあります。

 

今日近場を歩いていると何10回となく前を通っている大通りに面した作業服の店があった。その帰りに、同じくらい通過回数の多い、真裏の屋根付き商店街に面した婦人向け「暮らしの衣料」店を真ん前から見すえてみました。八百屋さんみたく店の前に商品が箱詰めしてあり、あいかわらずその先にはレジがあって、そしてずっと奥まで目を凝らして見つめていると、表通りの木漏れ日が白く光っているではありませんか......ななんと、同じ店であることを発見しました!

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表(つなぎと袖無しパーカーとガテン系の作業で使えそうなパンツ)と裏(激安ナイロンソックスから帽子、肌着、上段にはブラウス、その上に鞄類)があまりにもかけ離れている世界を背負っているがために、パッサージュであることにまったく気づかずに過ごしていました。婦人部を「裏」と言いましたが、客が立ち寄って四六時中おしゃべりしているのはこちら側、車通りが多く目貫感たっぷりの男物の部は(少なくともスルーする目には)閑古鳥。回り舞台のようでもあり、ドラマが書けそうです。

August 16, 2013

軍艦島

 

gunkan1.JPG夕方から4月末に収録したBS朝日の「鳥の目で見た『軍艦島』~日本最古の高層住宅の秘密~」の再放送があったので、久しぶりに視聴しました。なかなかいい番組でした。自分が出ているテレビ番組を観るのがあまり得意な方ではなく、時間が合えばもちろん本放送は観ることにしているけれども、自分が録画したものとか、局から送られてくる同録のDVDをあまり熱心に観ないものですから、周囲との時差ができてしまいます。撮った時の内容と流れ、共演者の感触というのはいつまでも頭に残りますが、その記憶と出来上がって放送される「番組」とは全然別ものだったりするわけで、他人が観ていてこちらが観ないというとほんとうに話が噛み合わないというか、逆に妙に噛み合うからおかしな気分にさせられることが多々あるのです。

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『軍艦島』は違いました。スタッフといっしょに2日間かけてあの廃墟の隅々まで歩き通しました。画面で観ると、島の乾いた威厳と寂寥感とあちらこちらで咲いているジャズミンの甘い香り、潮風のリズムがそのままぎゅっと圧縮されるような仕上がりになっていました。無人機に乗せた超小型カメラという「鳥の目」も、あの絶島の景色をとらえるのに最高のツールでした。

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三菱社が島を買収して80年以上たった1974年、採算が合わないことを理由に炭坑は閉山され、島民も全員退去。無人島と化して以来40年近い間、吹きすさぶ台風にさらされており、今日も、ゆっくりと着実に朽ち果てようとしています。早晩、大正時代に建てられたRC造9階建ての鉱員社宅も、みんな自重に堪えきれず、誰も見とどけられない嵐の夜に崩れ落ちるにちがいありません。壮大な孤独死をとげる前に鮮明でいい映像が残せて、ほんとうによかったと思います。

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August 14, 2013

晴耕、のち牛食

火曜日ということで昨日はスッキリ!! 出演。いつものコースで首都高を走って約30分。車の中は新聞をあさり読み。いちおう当日のラインアップを頭に入れて関連記事を探すが、たいがい関連のない、面白ニューズが目に留まり、やがて日本から遠く離れた南米やら中近東まで飛び出しては、どろどろのローカル事件に浸りだしたところで汐留に到着する。パリ発信Le Mondeの夏休み特集で取り上げていた、地中海沿岸の渚キャンプ(le camping sauvage)で思い思いの小屋を造ってバカンスを過ごしている人たちの表情にほっこりしました。

昨日は夏休みらしくソフトなネタが並びました。トップだけ、一昨日の都内豪雨に取材していて、大竹真アナウンサーが夜に我が家近くの停電地域を歩いておられるからびっくりしました。道一本隔てたところで懐中電灯で缶詰の夕ご飯。こちらは冷房ありで熱々のカレーライス、食後にパソコン三昧で災害の訪れに気づくすべはありません。都市災害の恐さはここに潜んでいるなと実感するVTRでした。

OA終わりでふたたび車に乗って、サントリー美術館で開催中の「生誕250周年 谷文晁」展へ。江戸時代後期の関東画壇を率いて巷でも最大の人気画家だったが、あらゆる画法に挑みオールマイティに活躍した文晁という人間にはこれといった一貫したスタイルが見出せず、言いかえると現代の我々が求めがちな「人間」の癖や臭いなどを画面から感じ取ることが難しいのかもしれません。しかし日本の文人画家がどうやって絵を描いたのか、をこの企画展から知ることができます。粉本学習の過程はもちろん、文晁が日本を隈なく歩きながら山の稜線を写し取ったり、寺院では古宝を模写したりするその姿勢を展示品が映し出しています。また江戸では、大名屋敷から町人居住地にいたるまで彼がいかに多くの人々と交わり、胸中にぼうだいな画像集積庫(展示図録、板倉聖哲氏論文)を作り上げたかも直感でつかめて、なかなかよく考えられた展示でした。

午後は半蔵門にあるJFNスタジオに向かい、「PEOPLE 編集長!お時間です。」を収録。8月のゲストはJAXA名誉教授で宇宙工学者の的川泰宣さん。的川さんには8月27日打ち上げ予定のエプシロン・ロケットについてたっぷりと、最後には子供とその親を相手になさっている宇宙教育の模様を熱っぽく語っていただきました。

夜は毎週スッキリ!! でごいっしょしている香山リカさんと納涼夕食会。18:30、西荻窪にあるイタリアン・ビストロTrattoria 29で集合。あれこれおしゃべりしながらあれこれ前菜とパスタをつまみ、最後にはお店イチ押しの肉料理を頂戴しました。

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茨城産黒毛和牛(左)に、熊本産えこめ牛(右)、それぞれ300gr.、合わせて4人分。どちらも雑味がなく旨い!に違いないけれど、このごろ味が深くさっぱりした赤身が好みなので、わたくしは、軍配をえこめ牛の方に上げました。

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帰ってくると昼間に出された日大教授・田中ゆかりさんからのお便りが着信。昨日のブログを見てくださったとのこと。その上で、次のように書いておられます(田中さん、掲載許可ありがとう!)

「お書きの小説における「脱方言」は、ヒーローは標準語という役割語セオリーのどまんなか、と思いました。

大河の『武田信玄』で、信玄は共通語、足軽頭は「甲州弁」という時代劇における安定装置です。これが、くずれてきているのが近年で、ここのところの日経で連載される時代小説は、ほぼヒーローもヒロインも「方言キャラ」です!

「脱方言」といえば、話はズレますが、先日「役割語」研究の元祖とお話をした際に、

「脱方言」ドラマは『純と愛』、
「ドラマ方言におけるリアルさの追求」は『カーネーション』、
「ニセ方言ドラマ」は『あまちゃん』、
 
朝ドラに限らず、 方言の用いられ方からみたドラマのこの3類型はけっこういけるのではないか、 という話で盛り上がりました!」

じぇじぇ~!気づかずに見ていた朝ドラは(教科書にけっして書かれない)日本語の教科書であったとは!田中さん、もっと教えてください!

August 12, 2013

雨読

近所から一歩も出ることなくジムと読書に一日を費やし、これ以上なき幸せな気分を噛みしめることができました(凄まじい雷雨も帰宅後のことで、セーフ)。こういうと文武両道に聞こえるかもしれないけれどそれは大きな誤解で、ジムではひたすら筋膜リリースと体幹トレーニングという地味なアクティビティに没頭していましたので、「武」とは無関係。池のそばで捕獲の瞬間をじっと待っているゴイサギのような、ああいう不気味な自律運動。

 

ちょっとした文章を書こうと思ったものですから葉室麟さんの『蜩ノ記』を昨日から今日にかけて読み直していました。文化年間(1804-1818)に豊後国(大分県)の山間に幽閉されたある武士とその家族、彼らを取りかこむ農民たちの哀愁と憤りを描いた力編です。葉室さんとは去年、直木賞を受賞されて以来、東京と大分県で2度ほどお目にかかりましたが、ご本人もやはり穏やかな佇まいに何か強靱なスピリットを表情とことばの端々から放出させておられました。

 

いい本はかならず再読すべし、と今回も感じました。推理小説として読めるこの物語に緻密な仕掛けが色々あって、なかには注意深く読んでいかないと気づかないで終わってしまうものもあります。わたくしが見落としたのは、会話と地の文の間に張りめぐらされた文体の段差。

 

村人は一人残らず大分弁でしゃべっているのに対して、主人公・戸田秋谷とその息子郁太郎、それに藩から目付役として送り込まれた若侍の庄三郎をはじめ、すべての武家と僧侶は「です/ます/ござる」で結ばれがちなやや古風で丁重な共通語で語り合っています。武士も百姓も、自らの立ち位置を崩すことなく、ごく自然にツー・トラック会話を互いに繰りだして絆を築き合っていきます。

 

郁太郎は感心したように言った。

「源吉は強いなあ」

「なんでそげなこつを言うんね。強さなら、郁太郎の方がお侍じゃけん強いに決まっちょる」

「いや、源吉は嫌なことがあっても、すぐに笑い飛ばしてしまう。わたしはいつまでもくよくよと考えてしまう」

 

郁太郎少年は、物心がついてからずっとこの村で暮らしているのに、同世代の源吉に対する語り方は「脱方言」的で、ここだけ切り取れば冷たくも感じるかもしれないが、けっしてそうではない。むしろ源吉たちのしたたかな心構えと朗らかさを際立たせる役割を彼の「方言のなさ」が請け負っているようです。

 

ところで一巻読み終わったとたんに、玄関でピンポン。『方言学入門』というソフトカバー本が一冊到着(木部暢子・竹田晃子・田中ゆかり・日高水穂・三井はるみ編著。三省堂)。なかなかよく出来た入門書で、ことばの地域差を地理的空間(第1章)と、ことばそのものの仕組み(第2章)と、コミュニケーション様式(第3章)と、社会変化(第4章)から取り上げ、最後には「『方言』から見える日本の社会」で締めくくっています(第5章)。興味深い調査データと先考研究リストを満載。

 

第5章で面白いのは、「社会現象としての『方言』―「方言コスプレ」という現象」でした。執筆者の田中ゆかりさんが一昨年自ら上梓した『「方言コスプレ」の時代』(岩波書店)をふまえた概説で、昨今広く見られる「ヴァーチャル方言」とそれにくっついて回る「方言ステレオタイプ」から産みだされる人びとの「臨時的キャラ発動行動」としての方言コスプレ、をヴィヴィッドに説いています。アニメや時代小説が好きな面々には、一読も二読も、お奨めです。

 

それにしても郁太郎のあの一見透明そうな「脱方言」を、コスプレ的にはどう説明できるきか、これから少々考えなければなりますまい(秋谷風〔笑〕)

August 11, 2013

夏芝居

新しい歌舞伎座がいちばん気持ちよく感じられるのは夏でしょう。場内は温度にムラがなく寒すぎず、そのうえ、むかしに比べれば前の席との間がたっぷり空いているので、心理的な「涼しさ」が生まれます。幕間も清々しい。1階の喫茶店も3階の食堂も大きな窓ガラスから街の往来が臨めて、いい気分。ビールが旨い。

今日は第2部、「梅雨小袖昔八丈〔つゆこそでむかしはちじょう〕」(髪結新三)と「色彩間苅豆〔いろもようちょっとかりまめ〕」(かさね)の2演目を観劇しました。

「髪結新三」は序幕と二幕目で、江戸日本橋の材木問屋白子屋の一人娘お熊(児太郎)と店の手代忠七(扇雀)が親には内緒で恋仲、駆け落ちするつもりが小悪党の新三(三津五郎)にかどわかされ、深川の長屋に監禁されるという顛末。序幕第一場の店先に現れる新三が忠七の髪をきびきびと撫でつけながら悪計を吹き込むあたり、三津五郎の艶やかでかつ温かいヒールぶりが冴えています。第二場の永代橋前では、新三に罵倒される忠七は初めてお熊を連れて行かれたことに気づき、橋の上から身投げする支度に余念ないけれど、祈る扇雀の指先がなんと愁いにみちて優美なことか。

二幕目は川の向こう、新三の内。上手の路地裏には万年青をはじめ青々とした植木鉢と銅の如雨露が棚に並び、下手の玄関には足を止める魚売りの呼び声、初鰹、その江戸風解体ショー、賑やかで涼しい風景です。お熊を実家に返すべくやってくる家主長兵衛(彌十郎)は、絶妙なお為ごかしが明快で大きな笑いをさそう。

「かさね」は悲惨な恋の始末を澄んだ清元に乗せて目でぐっと引きつける舞踊劇。与右衛門(橋之助)という色悪を絵に描いたようなはぐれた侍に連綿とくっつくかさね(福助)が主人公。滅多斬りにされながらも男の側を離れようとせず、最後には怨霊と化して逃げる彼を花道から引き戻す形相の凄まじさ。時間は真夜中から夜明けまでの一場、後半に後ろの黒幕が切って落とされると白みだす空はかさねの着物と同系色の紫がかったねずみ色。橋の下をゆっくり流れてくる髑髏に鎌が刺さり、おぞましい。「おそろしいはお前の心」と古風にかまえる福助の挙措が美しい。清元は、若き清美太夫が圧巻。

歌舞伎座.JPG

 

August 8, 2013

声の波形図

16:55頃。半日かけてやっとアップに成功したインターネット・ラジオ初回放送の「夏は砂時計」。管理ソフトの「更新」ボタンをクリックした瞬間に、携帯から何とも言えず嫌な警戒音が鳴りひびいたのであります。乾いたゴム靴を擦り合わせているような、悲鳴に近いアラーム。画面は「緊急地震速報/奈良県で地震発生。強い揺れに備えて下さい(気象庁)」と表示。誤報と分かれば何ということもないですが、東日本なら2年前の春、あの大揺れが蘇り、そのまま体を強ばらせた人たちが多かったのではないでしょうか。 

10分ほど経過すると誤報だと分かりました。よかったな、本当に。そのあいだ管理ツールから切り放されたネット・ラジオは、サーバーから公式サイトのRADIOページに降り立ってきて、聞けるような状態になっているから大したものです。ワォー。またツールの画面に残っている声の波形図も、何だかいっそやさしそうで、狭い場所に身を寄せ合っているようにもみえ、愛おしく感じられたのでした。

コトノホカ初回audacity.JPG

December 7, 2012

Far Side of the River

Up at 4:00 AM. Into the black car always waiting in front of my house on Saturdays 4:50 sharp for a thirty minute drive east to Roppongi and the TV Asahi studios, where Asanabi ("Morning Navigator" ) is broadcast live from 6:00 to 8:30. My Wabisabinabi (Quiet-Simplicity Guide?)  round-the-town segment was 25 minutes of Shigeru, Mariko and me trekking across Fukagawa in Koto Ward, on the eastern side of Sumida River.

From where somebody living in the middle of Edo (present day Tokyo) stood, Fukagawa was way on the other side of the tracks (less the tracks of course, just miles of canals). The neighborhood grew up around still-splendid Tomioka Hachimangu Shrine, where public sumo contests are said to have begun, and boasted seven illicit brothel districts, which many guys preferred to the more rigid and pricier Yoshiwara pleasure quarters near Asakusa.

Three spots on the way really cheered me up. One was a small red-painted iron bridge  suspended over what once was a canal for transporting logs to the lumberyard area beyond Fukagawa. Constructed in 1878, Hachiman Bashi is in fact the oldest bridge of its kind in Tokyo. The canal was filled-in in the 1960s; today along its route winds a perfectly quiet pedestrian path with tons of greenery covering both sides. 

The other two spots were sanctuaries from the cold river wind. One, the Orihara Shoten, is a stand-up sake bar disguised as a toy shop (!) with dozens of great labels from all over the country served chilled or warm over a small counter in the back of the shop, along with a long list of great homemade side dishes (http://oriharashoten.jp/). The other was a casual diner called Fukagawa Juku, situated right inside the precincts of the Tomioka Shrine. The speciality of the house is fresh clam and leek Fukagawa meshi, a piping hot bowl of miso-steeped rice (http://www.fukagawajuku.com/). Great after walking around the grounds and checking out all the humongous sumo wrestler stone monuments that surround the Shrine. 

In the video I showed Shigeru and Mariko a really beautiful ukiyoe print triptych I'd borrowed from the Ojiya Ukiyoe Preservation Council (Ojiya Egami Hozonkai) in Ojiya City, Niigata Prefecture. Drawn by Yoshu Chikanobu and printed in September, 1888, Big Party in the Susaki Brothel District , Fukagawa depicts a few of the courtesans most in demand shortly after the Susaki quarters were expanded, following the demolishment of the midtown Nezu brothel district in June that year.