2017年5月アーカイブ

キャンベル氏1面のコピー.jpg新学習指導要領導入の目的や、小中高校の授業や大学入試がどうなるのかについて、

四国新聞からインタビュー取材を受けました。

5月27日(土)四国新聞に掲載されたインタビューの全文をご紹介します。

  

大学進学へ自分の学びの形考えて

ー新学習指導要領の最大のポイントは。

キャンベル    戦後日本では、優秀で取りこぼしの少ない均等な教育を築き上げてきた。しかし、今求められているグローバルな人材は、均等で取りこぼしのないような人ではない。それぞれの能力、資質、嗜好、地域性の違いということをポジティブに生かせる教育制度が必要で、グローバル社会の中で日本が競争力を向上させるために不可欠なものだ。これまでの公教育のいいところを残しつつ、どうやってそれぞれの生徒の資質や地域の特性というものを生かし、深めることができるのか。アクティブ・ラーニングはそれができる一つの枠組みだと思う。

ー日本人は発信力が弱いと言われる。

キャンベル    意見の有無は個人に任せてもいいと思うが、継続的に意見が出ないと「何も考えていない」とされ、何も生まれない。一期一会の集まりの絆に関わってこない、体温が感じられないということになる。それはコミュニケーションスキルとも重なってくる。自分の足場、自分の主軸というものを持って初めて発信できる。

    ただ、私は発信という言葉よりも、「交信」を提言したい。交信力がまさにアクティブ。アクティブは一方通行でなく双方向。自分が何を言うのか、何を準備するのか、何を学ぶのか、相手がいることを想定しながら逆算してそこまでやって初めて交信ができる。それは楽しいことで、自分の生きがいも感じられる。

ー日本の教育をどう見てきたか。

キャンベル    日本は読解力など知識の処理能力は高く評価されている。生徒たちは若いときから確かな足場をきちんと築いてきた。しかし、「ゆとり教育」については当初から批判的な立場。ゆとり教育とは内容を提示せず、自由学習と同じで、無責任。何もないスカスカの人たちが18歳になって大学に入ってくる。私は最初からゆとり教育には懐疑的だった。

    アクティブ・ラーニングというのは、学ぶべき基礎的学力を身につけながら自分で思考すること。大学に入ってから思考すればいいと言うのが今の日本の教育だが、本当は中学、高校時代からやっていないといけない。日本の学習指導要領は知識詰め込みの「知識偏重型」といわれるが、知識と、活きる学問「活学」は二項対立では決してない。

ーアメリカとの違いはあるか。

キャンベル    アメリカの公教育は不均等。地域や校区によって、また公立と私立によっても全く違うので、比較はできない。

ーでは、アクティブ・ラーニングを踏まえた授業はどうなるのか。

キャンベル    私は東大教養学部で教えていたが、 東大1年生の初年時ゼミナールで演習としてやっていたのが、テーマを決めて学生に発表してもらい、それを聞いたほかの学生が翌週までに「フィードバック」というリアクションを1枚紙に書くという取り組みだ。

    3年くらい前に「復興」をテーマにしたが、震災、人災、いろんな言葉に復興という言葉がつながる。英語には「リコンストラクション」という言葉もある。「復興」自体が文学でもあり、歴史でもあり、社会学にもなる。これがアクティブ・ラーニングだ。ただ、それがどこに向かうのか、きちんと教師が準備してナビゲーションしなければならない。若い人にロードマップを描くという経験をさせるのは効果的だ。

ー現在の日本の授業は現場の先生からの一方通行と言われている。

キャンベル    先生たちにはさらに研さんを積んでいただかなければならないが、一方では教科書会社が教科書を「工具」として先生を支え、生徒たちに魅力のある、意味のあるアクティブ・ラーニングをそれぞれの教科の中で作ろうとしている。

    もう一つは電子空間を使うことが重要になる。先生の話を聞いて板書を見て写すだけでなく、先生の話を聞きながらインターネットで何かを探し、そしてみんなでそれを共有して議論する。私はこれを「多層化させる」といっている。電子機器を教室の中、またはそれぞれの自宅で使い、結んで学びを深めることはできる。工具というものを先生に向けたものと、先生と生徒が共有して教室で使う、または生徒たちが宿題をするために自宅で使う。こうしたことが必要なのではないか。

ー大学入試が変わることに、保護者や生徒は不安を感じている。

キャンベル    私は不安を感じていても構わないと思う。入試に不安は付きものだ。ただ、「自分は所得が高くない」「文教政策に手厚いところに住んでいない」など不毛な「格差」を抱えている保護者には向き合わないといけない。

ー大学合否の判定基準はどうなるのか。

キャンベル    今までは1点学力主義で、判定基準が明確だったが、今度の判定基準は均等、標準化されたものでは必ずしもない。その中でどう折り合って行くのか、課題の一つ。

    センター試験に筆記があったり、大学に推薦枠が設けられたりする。その生徒が生まれ持った資質をどのように自覚的に開花させてきたのか、学校の内外でどのようなことをしてきたのかが測れるようにして欲しい。

ー大学も大きな変革を迫られていると

キャンベル    異なった側面を持った人たちが集まって大学を作った方が、全体として研究、教、社会との関わりとして強くなる。それができる裁量が大学に与えられることが日本にとって大変いいこと。

    大学がどういう人材を求めているのかということを一つ一つ発信し、生徒たちは自分にあった大学はどこかと見定めるようにならなければいけない。長寿番付のような馬鹿みたいな大学の番付的発想からは早く脱出しなければいけない。非常に内向き。

    生徒は、大学がどういう人材を求めているのか、特性、独自性を自分の中で棚卸しし、きちんと捉える。大学は定員を満たすことに主眼を置くのではなく、どういう特色のある生徒たちを引きたいのか、そうした人たちが集まったときに大学としてどういう力を発揮していくのかが大事だ。

ー日本はいい高校、いい大学に入るのが目標になっている。大学に入って何をするかが明確になっていない。

キャンベル    高校までは考えなくていい。滅私奉公的に自分を抑え、高校2年、3年時は、大学の番付の前の方に行けるよう頑張っている。問題の一つは大学にあり、その先は企業にあると思う。大学はできるだけ学力の高い生徒たちで満員にするようにしている。また、企業はいい大学さえ卒業していればいいとし新卒至上主義もずっと貫いている。大きなハードルだ。

ー生徒も大学の特徴を見極める必要があると。

キャンベル    大学を目指す子どもがいる家庭は、大学をよく見ることが重要。大学に入ったら、そこで何になるかを高校時代、または中学時代から見据えながら自分の学びの形を考えて欲しい。学校の中でやらなければいけないことはたくさんあるが、できることもたくさんある。すべての教科でいい点数を均等に取ることがいいとは限らない。一芸に秀でた人、例えばとことん理系の教科に強い人は、どんどんその才能、資質を伸ばしていけばいい。

ー米国の大学入試では面接が重視されている。日本もそういう傾向になるか。

キャンベル    そうせざるを得なくなると思う。大学の志願者を、人間として今までどうだっったのかを見て、単に判定するだけでなく、大学に入ってどんな働き、関わりが期待できるのかを見る。それを迎え撃つように、子どもたちは自分を充足させていかなければならない。勉強が中心だが、勉強とつながる形で他のことでも自分を作っていくべき。高校生活の中で自分の才能に気づき、単に掘り下げるだけでなく、横に広げることが高校の責任だと思う。そこがアクティブ・ラーニングの要点だ。

ー一つの例として、英検が2級から作文を導入するようになった。

キャンベル    語学力以外に論理力、構成力なども問うようになったのは、教育改革を見据えてのことだろう。

    企画立案能力は実はすごく大事なこと。生徒たちに最終目的を示し、そこに行くまでの道筋を描いてあげても、一つ一つの踊り場、答えは与えない。その中にいろいろな問い掛けがあり得ることを、生徒たちに気づいて欲しい。

ー塾でも、新学習指導要領を前取りした対策に取り組んでいるところがある。

キャンベル    東大が推薦入学を発表した翌年から、大手の塾が推薦入学に向けて高校で何が先生の目に留まり、どうすればいいかを指導するようになった。

ーアクティブ・ラーニングを引き出す教材として、新聞に注目が集まっている。

キャンベル    新聞の活用は有用なこと。ぜひ、新聞をアクティブ・ラーニングの教室の中に生かして欲しい。

201705_cover-thumb-140xauto-6911.jpgのサムネイル画像特集は「成長戦略を支えるジャパン・ブランドの発信力強化に向けて」

ジャパン・ブランドの「ジャパン」を掘り下げ発信することへの提言として書かせてもらいました。

  

「伝統を新たな付加価値につなげるために」

私ごとだが、この春、17年間勤めた東京大学を離れ、立川市にある国文学研究資料館という大学共同利用機関の館長に就任した。国文学研究資料館(以下「国文研」)という名前をご存知の方はどれくらいおられるだろうか。東大は誰もが聞いたことがあるけれど、「国文研」と聞いてピンとくる日本人は、その歴史と実績のわりには少ないように思う。筆者にとって新しい船出でもあるので、ここで国文研の活動を簡潔に紹介させていただきたい。

文学遺産を集約し共同利用というかたちで世界に開放

 国文研は、日本全国に点在するこの国の古典籍(=近代より前に筆写、または印刷された書物のこと)をことごとく調査し、書誌データと画像として集積するとともに、そのデータを基に、さまざまな分野で共同研究を推進することをミッションとして1972年に設立された。もともと国立の機関であり、現在は大学共同利用機関として法人化され、事業の範囲も明治時代までを視野に入れ、文学に限らず日本で製作されたあらゆる和装本を対象にアーカイヴしている。活動は国内にとどまらず、アジアや欧米などにも出かけていき、調査・画像撮影を行い、日本の「伝統」を形づくる貴重な文字資料を活用できるものにして提供し続けている。国家百年の計、と呼んでもよい地道な作業を中心に据えて歩を進めてきた。

 国文研のような研究機関は、英国にもフランスにも米国にもありそうで、存在しない。「国の歴史的な言語文化を可視化させるラボ」だと筆者はみている。固有の言語圏から生まれた文学遺産を網羅的に集め、整理し、共同利用というかたちで世界に開放できるシステムを構築すること。そうすることで初めて文学研究を超え、文化に関心を寄せるすべての人々に日本が持つ豊かな歴史を知ってもらうことができるものと信じているのである。

 日本の生活文化と技術発展、何よりも日本列島に暮らす人々がたどってきた精神の長い道のりを知り、他者と共有するために最もふさわしい「伝統」文化資源がここに結集している。伝統を新たな付加価値につなげることを考えると、無数のポテンシャルが書庫とサーバーと世界に張り巡らされている人的ネットワークに潜んでいるといってもよいであろう。

 近代化のなかでの日本語の刷新が過去・伝統からの断絶の壁に


 1000年以上に及ぶ日本の文字遺産にはいくつかの特徴がある。

 一つは、図像と文字が密接に絡んでいること。作品単位で見ればどこからが「文学」で、どこまでが「美術」なのか、という線引きが難しい場合が少なくない。特に近世期(=江戸時代)以降だと、「文学」は「美術」と判別しづらいほど融合的に作られている。「見立て」や「やつし」と呼ばれる日本独自の表現法は、絵と文字のフュージョンから編み出されたもの。本は読むものばかりではなく、和食と同じように、目で見て楽しむものであった。

 もう一つは、日本人が日本語そのものを大きく刷新させたことである。開国と維新から近代へと向かう途中で、それまで何百年もの間に、緩やかに変化していた書き言葉は、古文から言文一致体へ、表記も毛筆から発展した崩し字から活字に組みやすい楷書体へと形を一変させていった。維新から数十年がたってみると、新しい教育を受けて育った人が増え、古いシステムを動かせる(つまり以前通じていた文体や文字の読み書きができる)人間が減り、その結果、今日のように蕎麦屋ののれんの「生蕎麦」ですら読めない日本語話者が圧倒的多数を占めることになった。

 これが何を意味するのか。徹底した刷新の前に記された、ありとあらゆる証言を後世の人々が自分の目と頭で選び取り、理解する能力を失ってしまったのである。自らの伝統を担保する真の「過去」から隔離してしまうという、世界でも希有な状況に日本は置かれているといえる。数え方によって違うが、活字で読める日本の古典籍は、伝来する全体の1割にも満たないといわれている。

fullsizeoutput_142c.jpegのサムネイル画像のサムネイル画像のサムネイル画像 芝居の絵番付から時のかなたに広がる景色を見渡す


 現物でしかアクセスできない史実があるという意味で、面白い例が筆者の手許にある。1807(文化4)年8月19日、江戸は深川の富岡八幡宮祭礼の最中に、隅田川に架かる当時最大の橋梁であった永代橋が崩れ、橋の上にひしめき合っていた400人とも数えられる見物人がいっせいに川に投げ出され、河口へ流れ、命を落とした。都市災害として長く江戸・東京の住民の記憶にとどまった重大な事件である。

 しかし当時、リアルタイムで惨事の様子を伝える新聞もなければ、映像も音源もない。唯一の証言といえるものはお祭りの前に配られる祭礼番付や、後日に認められたわずかな手書きの記録以外になく、市民が災害のことをどうとらえ、理解し、記憶していったかをすくい出すことは容易ではない。

 半世紀たって、1860(万延元)年7月。江戸猿若町にあった市村座で河竹黙阿弥作『八幡祭小望月賑(はちまんまつりよみやのにぎわい)』(通称『縮屋新助』)という歌舞伎芝居が初演を迎えた。

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劇の第二幕で、永代橋陥落事件を当て込んだシーンが展開する。

橋の上から川に転落する深川芸者美代吉(岩井粂三郎)を、たまたま小船で通りかかった越後の縮屋新助(市川小団次)が抱き留め、のっぴきならぬ状況の中で美代吉への恋慕を告白する。その前に、博徒と鳶の者が橋の上で喧嘩を繰り広げている。巨大な橋は、人間の慾望を複雑に拡大させるシンボルとして描かれ、現代のわれわれが想像するような事故原因の究明や追悼の念など微塵もない。

配役をふくめ演出の仕掛けも初演時に頒布された1冊の絵番付からとらえることができる。芝居にあわせて刷られた、捨てられて当然の「一流」とはほど遠い文献であり、もちろん活字にはなっていない。しかし災害史という文脈から読むと、実に興味深い。その絵は見てわかるが、文字が崩した形でしかアクセスできないとすれば、そこにある人々の理解や感性は越えたい伝統の「壁」に阻まれてしまう。

 ここで言いたいことは、日本人の災害意識の一端を示す絵番付の画像が、仮に国文研のサーバーからアクセスできたとしても、崩し字が読めない大多数の人間にとっては不透明なものであり、時のかなたに広がる景色を見渡すことを可能としない。これからやらなければならないことは、収集をしながら、掛け替えのない人類のストーリーを刻んだ古典籍を選び取り、読めるテクストにし、その先のところで新しい様式や価値に発展させる工夫を重ねてゆくことだと筆者は思う。社会で広く活躍される皆さまの助言とお力添えを心から切にお願いしたいと考えているところである。

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